米国土安全保障省(DHS)は2026年10月20日、連邦調達サプライチェーン安全法(FASCSA)に基づき、中国の杭州深度求索(DeepSeek)製品および同モデルを組み込んだ第三者製品を米連邦民間機関のITシステムから排除・撤去する命令を官報に公示しました。日本政府の「政府統一基準」やISMAP(政府情報システムのためのセキュリティ評価制度)に準拠してクラウドサービスやソフトウェアを供給する国内ベンダーも、基底モデルの依存関係調査とサプライチェーン監査への対応が求められます。
米政府が発動したFASCSA排除命令とPAIPA金融制裁の詳細
2026年10月19日と20日、米国政府は中国製AI技術に対して性質の異なる2つの法執行を相次いで発表しました。一方は政府調達からの完全排除、もう一方は営業秘密侵害に対する金融制裁です。
FASCSAに基づくDHS命令(#2026-01)の骨子
DHSのマークウェイン・マリン(Markwayne Mullin)長官が署名した排除・撤去命令(Exclusion and Removal Order #2026-01)は、連邦政府の民間行政機関全般を対象としています。連邦調達安全評議会(FASC)の審査と勧告に基づく措置であり、調達からの除外は命令の発出後ただちに効力を持ちます。
命令が求めている具体的な内容は以下の2点です。
- 調達からの除外: DeepSeek社、その関連会社、および同社製品を連邦民間機関の調達対象から除外すること。承認済み製品リスト(GSAスケジュール等)や政府向けマーケットプレイスからの削除を含みます。
- ITシステムからの撤去: DeepSeekの直製ソフトウェアにとどまらず、「DeepSeekの実装を使って開発された第三者の製品・サービス」を連邦民間機関のシステムから完全に撤去すること。
適用除外や遵守期限の延期を希望する機関は、発出から60日以内にサイバーセキュリティ・インフラ安全保障庁(CISA)へ書面で申請する必要があります。CISAが技術的妥当性を審査します。なお、国防総省が管轄する国家安全保障システムや、国家情報長官が管轄する機密区画化情報(SCI)システムは、本命令の管轄外となっています。
PAIPAに基づく中国5団体への金融制裁
DHS命令の前日となる10月19日、米国務省は米国知的財産保護法(PAIPA)に基づき、中国のAI関連5団体を制裁対象に指定しました。米財務省外国資産管理局(OFAC)はこれらを「Non-SDN Menu-Based Sanctions List」へ追加しています。
発端となったのは、米グーグル(Google)の元ソフトウェアエンジニアであるリンウェイ・ディン(丁林葳)氏によるAI営業秘密の不正持ち出し事件です。ディン氏は2022年から2023年にかけてGoogleのスーパーコンピューター向けAI基盤資料を不正に取得し、中国で上海至算科技(Shanghai Zhisuan Technology Co Ltd)を設立しました。
国務省およびOFACが指定した5団体は以下の通りです。
- 上海至算科技有限公司(Shanghai Zhisuan Technology Co Ltd): ディン氏が設立したスタートアップ。
- 北京奇迹創壇投資管理有限公司(MiraclePlus): 元マイクロソフト(Microsoft)幹部のルー・チー(Qi Lu)氏が率いるインキュベーター。ディン氏の事業へ約70万ドルを出資し株式7%を取得。
- 北京奇績創壇一期創業投資中心(有限合伙): MiraclePlusが運用する第1号ファンド。
- 北京奇迹創壇二期創業投資中心(有限合伙): MiraclePlusが運用する第2号ファンド。
- 北京奇績創壇致遠企業管理中心(有限合伙): 一期ファンドが全額出資する投資管理事業体。
PAIPAは営業秘密を侵害した外国団体に対し、法定の12項目から5項目以上の制裁を科すよう定めています。今回適用されたのは条文下限となる以下の5項目です。
- 米国管轄下にある財産・財産的利益の凍結および取引禁止
- 米国金融機関による12か月あたり1,000万ドルを超える融資・信用供与の禁止
- 米国管轄下における外国為替取引の禁止
- 米国金融機関を通じた送金・支払いの禁止
- 米国人・米国法人による対象団体の株式・債券等への投資禁止
OFACは同時に「一般許可2(General License No. 2)」を発行し、MiraclePlus関連の既存取引を整理するための猶予期間を2027年1月19日まで設定しました。
2つの規制措置の比較と時系列
米政府が講じた2つの措置は、法的根拠と執行領域が明確に分かれています。
| 項目 | DHS調達排除命令(#2026-01) | 国務省・財務省PAIPA金融制裁 |
|---|---|---|
| 根拠法令 | 連邦調達サプライチェーン安全法(FASCSA) | 米国知的財産保護法(PAIPA) |
| 主管機関 | 国土安全保障省(DHS)/審査:CISA | 国務省/執行:財務省外国資産管理局(OFAC) |
| 対象主体 | DeepSeekおよび関連会社 | 上海至算科技、MiraclePlusおよび関連ファンド |
| 規制対象 | 連邦民間機関の調達・ITシステム | 対象団体の資産、為替取引、資本取引 |
| 対象技術 | 該当企業製品および同モデルを実装した第三者製品 | Googleから不正取得されたAI学習・インフラ基盤技術 |
| 猶予措置 | 例外申請期限:発出から60日以内 | 清算取引許可:2027年1月19日まで(一般許可2) |
この措置に至るまでの時系列は以下の通りです。
- 2023年1月: 米国で知的財産保護法(PAIPA)が成立。
- 2023年8月: ディン氏がMiraclePlusのプログラムに採択され、約70万ドルの出資を受ける。
- 2024年3月: 米司法省が営業秘密窃取罪でディン氏を逮捕・起訴。
- 2026年7月24日: DHS長官がDeepSeek排除・撤去命令(#2026-01)に署名。
- 2026年8月20日: 連邦地裁がディン氏の経済スパイ罪7件を証拠不十分で無罪とし、営業秘密窃取罪7件を有罪と維持。
- 2026年9月1日: 連邦地裁がディン氏に禁錮12か月弱の実刑判決を言い渡す。
- 2026年10月17日: DeepSeekが最新モデル「DeepSeek-V4.1-Flash-1017」の重みをMITライセンスで公開。
- 2026年10月19日: 国務省とOFACがZhisuanおよびMiraclePlus関連5団体をPAIPA制裁対象に指定。
- 2026年10月20日: DHSのDeepSeek排除命令が米官報に正式掲載。
参考記事: DeepSeekの1兆円調達が示すAIアーキテクチャの転換|8兆円評価を支える技術と実装ロードマップ
OSSライセンスの盲点とサプライチェーン汚染の技術構造
今回のDHS命令がソフトウェア産業に与えた最大の影響は、MITライセンスなどで無償公開されたオープンウェイトモデルの商用利用に関する前提を覆した点にあります。
オープンウェイトモデルに潜む地政学的・技術的リスク
DeepSeekは2026年10月17日に軽量推論モデル「DeepSeek-V4.1-Flash-1017」の重みを公開しました。MITライセンスは著作権表示を保持する限り、改変、再配布、商用利用を無制限に認めています。しかし、DHSが挙げた調達排除の根拠は、ライセンス形態ではなくモデルの出自と運用環境です。
DHSが提示したリスク要因は主に4点あります。
- データ管轄権の問題: サーバーが中国国内に所在し、国家情報法などの現地法制度下で政府機関によるインフラへの直接アクセスが法的に担保されている点。
- 個人特定情報の収集: アカウント作成やAPI通信に伴い、ユーザーのフィンガープリントや追跡情報が収集される懸念。
- 推論データの流出経路: プロンプトと出力の往復通信を通じ、連邦職員や契約事業者の機微な行政データが海外サーバーへ移転する経路。
- コードベースの脆弱性: 外部セキュリティ企業(NowSecure等)の解析により、公式クライアントアプリ等に重大な脆弱性が確認された点。
オープンウェイトモデルを自社サーバー(オンプレミス)でホストする場合、通信経路上の情報流出リスクは低減できます。しかし、DHS命令の文面は「DeepSeekの実装を使って開発された第三者の製品・サービス」を一律に対象としています。蒸留(Distillation)によってDeepSeekモデルから教師データを得て学習させた小型モデルや、LoRA(Low-Rank Adaptation)等のファインチューニングを施した派生モデルがどこまで「実装」と判定されるか、境界の定義が今後の監査における焦点となります。
AI部品表(AI-BOM)の要件と検証課題
第三者製品の排除命令を履行するためには、自社ソフトウェアが依存するAIコンポーネントの来歴を完全に追跡できる体制が不可欠です。従来のソフトウェア部品表(SBOM)に加え、機械学習モデルに特化した「AI-BOM」の整備が技術的必須条件となります。
AI-BOMにおいて追跡が求められる項目は以下の要素です。
- 基底モデルの出所: 事前学習に用いられたベースモデルの名称、バージョン、提供元企業。
- 合成データの生成元: ファインチューニング用データセットの生成に他社製LLMのAPIが介在していないかの証明。
- 重みファイルのハッシュ値: 公開リポジトリ(Hugging Face等)からダウンロードした重みファイルの完全性と改ざんの有無。
- 推論ランタイムの依存ライブラリ: モデル実行に用いられる推論エンジン(vLLM、TensorRT-LLM等)の通信設定とバックドアの有無。
オープンソースソフトウェアの利点であった「無償かつ自由な再配布」は、モデルの学習出自に起因するサプライチェーン規制によって、直接的な管理コストを伴うリスク資産へと変化しています。
参考記事: DeepSeekのAGIロードマップとは?Huawei製AIチップとTileLangでNVIDIA依存を脱却できる…
日本企業と投資家に求められるガバナンス対応
米国の対中AI規制が「半導体輸出管理」から「政府調達排除(FASCSA)」および「投資資本の凍結(PAIPA)」へ重層化した事実は、日本の産業界にも直接的な影響を及ぼします。
SaaS・ITベンダーにおける供給網の切り戻し
米連邦民間機関と直接または間接に取引関係を持つ日本のSaaSベンダー、システムインテグレーター(SIer)は、自社ソリューションに含まれるAIモデルのスクリーニングを即時に進める必要があります。
- 提供サービスの依存関係監査: 自社製品のバックエンドでDeepSeekのAPIを直接コールしていないか、あるいは同社モデルをベースに構築されたコンテナイメージをインフラに組み込んでいないかの確認。
- 米国政府調達向け製品の隔離: 連邦機関向けに提供する製品ラインから、該当モデルおよび派生コードを排他し、AWS GovCloudやAzure Governmentなどの認可環境上で動作する代替モデル(米ハイパースケーラー提供の検証済み基底モデル)への切り戻し設計。
- 調達契約における来歴保証: 米国の大手プライムコントラクター(主契約企業)から求められるサプライチェーン保証条項に対し、モデルの来歴証明書(Model Provenance Certificate)を提示できるデータ管理体制の構築。
国内市場向けに特化している企業であっても、将来的なISMAP(政府情報システムのためのセキュリティ評価制度)における監査基準の厳格化を見据え、モデル選定基準の見直しが求められます。
国内VCおよび機関投資家における知財デューデリジェンスの再設計
PAIPA制裁によって、営業秘密侵害を認識した企業だけでなく、その企業へ資金を提供したVC(MiraclePlus)までが資産凍結と為替制限の対象となりました。出資元のファンド(LP・GP構造)まで連座する形で制裁網が拡大した点は、投資実務に重大な転換を迫ります。
- 創業チームの技術的出自の確認: 出資候補スタートアップの主要技術者が、前職の米メガテックや研究機関からコードやウェイトを持ち出していないかの法務調査(フォレンジック監査)。
- 知財帰属のクリアランス: 企業が主張する独自アルゴリズムや事前学習手法が、オープンソースの利用規約や前職企業の知財権を侵害していないかを証明する第三者鑑定の導入。
- クロスボーダー共同投資の契約見直し: 米系キャピタルと協調投資を行う際、共同出資者の中にPAIPAやOFACの制裁リスト対象企業が含まれていないかのバックグラウンドチェックの恒常化。
技術の高性能さや開発速度の速さだけを根拠にした投資判断は、ファンド全体の米ドル決済停止や資産凍結という致命的なリスクに直結します。
参考記事: 中国AIは本当にOpenAIに追いついたのか?DeepSeekとKimi K3がもたらすアーキテクチャ転換と実用化…
実務で着手すべき技術管理アクション
地政学リスクを内包する先端モデルの利用が規制される環境下で、技術責任者および事業責任者が直ちに着手すべき実務対応は以下の3点です。
- 自社保有ソフトウェアのAI部品表(AI-BOM)の作成
自社が運用・提供するすべてのアプリケーションについて、推論に使用している基底モデル、追加学習用データセット、使用ライブラリの来歴を棚卸しし、バージョンと開発元を記録した台帳を作成します。
- マルチモデル運用アーキテクチャの導入
特定のオープンウェイトモデルや海外APIへの依存を避け、LangChain等のオーケストレーション層を活用して、必要に応じてモデルを即座にハイパースケーラーの保証済みモデル(Azure OpenAI、Amazon Bedrock等)へ切り替え可能な疎結合設計へ移行します。
- 知財およびデータガバナンス条項の契約監査
外部ベンダーから調達するAIツールや受託開発コードについて、中国国内のデータ転送要件を伴うモデルが含まれていないか、またモデルの学習元に関する知財侵害がないかを担保する非侵害保証条項を契約書に追加します。
出典: innovaTopia
出典: U.S. Department of State
出典: Federal Register (Docket DHS-2026-0628)
出典: The Hacker News
出典: Export Compliance Daily
