NTTとOptQCが拓く100万量子ビットへの構造的転換
NTTとOptQCは2030年度の100万量子ビット級光量子コンピュータ実用化に向け資本業務提携を締結した。従来は極低温下での巨大装置が物理ビット拡大の障壁だったが、常温動作と時間領域多重化が構造を変える。本記事では、光方式が提示する技術的要件と2030年までのロードマップを解読する。
なぜ光方式なのか:TDM×60GHzクロックが破る大規模化の物理限界
量子計算の分野において、超伝導方式やイオントラップ方式といった先行モダリティが直面している最大の壁が「スケーラビリティの物理的限界」である。超伝導量子コンピュータで物理量子ビット数を1万、10万と増やす場合、絶対ゼロ度近く(数ミリケルビン)まで冷却する大型の希釈冷凍機が必要となる。さらに、各量子ビットを制御するための同軸ケーブルが数千から数万本単位で冷却容器内に引き込まれるため、熱流入と物理的スペースの枯渇問題(ワイヤリング問題)が深刻化している。
これに対し、東京大学発スタートアップのOptQCとNTTが推進する「光量子(連続量)方式」は、根本的に異なるアプローチをとる。最大の強みは、室温・常圧環境で動作可能という点にある。巨大な冷却設備や特殊な真空容器を必要とせず、汎用的なデータセンターラックへの収容を可能にする。
1. 装置を増やさずにビット数を増やす「時間領域多重化(TDM)」
OptQCのコア技術である時間領域多重化(Time-Domain Multiplexing: TDM)は、装置の物理的な規模を量子ビット数に比例して増大させずに、扱える量子状態を増やせる可能性がある手法である。
従来の光量子方式では、1つの量子ビットに対して1つの光路(回路)を割り当てる空間多重化が一般的であり、ビット数を増やすほど光学定盤やICチップのサイズが巨大化していた。これに対しTDMでは、1本の光ファイバーや導波路内に、時間的に連続する光パルス(フォトン)を一定間隔で流し込む。この時間軸上に並んだ光パルス同士を干渉させることで、時間軸方向に無限に連なる巨大な量子もつれ状態(2次元クラスタ状態)を連続的に生成する。
この方式により、わずか数個の光源と遅延回路(光ループ)という最小限の物理ハードウェア構成のまま、時間軸を延ばすだけで100万量子ビット級の計算空間を創出できる。
2. 60GHz駆動クロックと10.1dBスクイーズド光の衝撃
TDMによる超大規模計算を支える重要な技術的要素が、「駆動クロックの高速化」と「量子ノイズの圧縮(スクイーズド光品質)」の2点である。
2025年1月、東京大学、NTT、理化学研究所らの共同研究チームは、60GHzという速度での光量子もつれ生成および測定に成功した。これは従来の光量子実験と比較して1,000倍以上の高速化を意味する。計算の基本単位となる光パルスをピコ秒〜ナノ秒単位で制御・測定可能となったことで、極めて高いスループットでの量子演算が現実解となった。
さらに、量子計算の精度を決定づける光源として、2026年3月に10.1dBの量子ノイズ圧縮率(スクイズ度)を持つスクイーズド光の生成に成功した。スクイーズド光とは、量子力学的な不確定性原理に基づき、振幅または位相のいずれか一方のノイズを限界まで抑え込んだ特殊な光である。誤り耐性型量子計算(FTQC)を確立するには理論的に約10dB以上のスクイズ度が重要とされており、導波路型光デバイスを用いて世界最高となる10.1dBのスクイーズド光生成に成功したことが、今回の提携を加速させた技術的背景となっている。
3. NTT「IOWN」との垂直統合サプライチェーン
光伝送ネットワークとは?大容量・低遅延の基礎原理から次世代IOWN構想まで徹底解説でも解説されている通り、NTTが推進するIOWN(Innovative Optical and Wireless Network)構想のコア技術である「オールフォトニクス・ネットワーク(APN)」および「光電融合デバイス」は、光量子コンピュータのハードウェア基盤と完全に合致する。
光量子コンピュータをラボ実験機から商用製品へとスケールアップさせるには、光学素子を超小型化する「光積層回路(PLC)」や「チタン酸リチウム(LiNbO3)導波路」などの光半導体デバイスを安定量産する体制が不可欠となる。NTTは厚木研究開発センタ等において長年培ってきた通信用光デバイスの製造能力とサプライチェーンを保有している。OptQCの理論・アーキテクチャとNTTの光技術・知見を組み合わせることで、将来的なサプライチェーン構築や社会実装に向けた取り組みが進められている。
主要な量子コンピュータモダリティの構造比較
| 評価項目 | 光方式(NTT / OptQC) | 超伝導方式 | 中性原子方式 |
|---|---|---|---|
| 動作環境 | 室温・常圧 | 極低温(約15mK) | 常温(真空セル内) |
| スケーラビリティ制御 | 時間領域多重化(TDM) | 物理チップ増設・立体配線 | 光ピンセット3D配列 |
| 駆動クロック / ゲート速度 | 60GHz(ギガヘルツ級) | 数十MHz(メガヘルツ級) | 数kHz〜数MHz |
| 100万ビット化へのボトルネック | 光損失(フォトン・ロス) | 冷凍機の冷却容量・熱流入 | ゲート速度とレーザー光量 |
| 補足技術 / インフラ | 光通信デバイス(IOWN) | 特殊希釈冷凍機・極低温線材 | 光ピンセット・空間光位相調製 |
AWSとQuEra、誤り耐性量子コンピュータ「Libra」を2028年にAmazon Braketで提供へや中性原子量子コンピュータの仕組みと実用化はいつ?Atom Computingが3億ドル調達で加速するFTQCロードマップで解説した他方式と比較しても、光方式は「常温動作」と「時間多重による省スペース化」において構造的な特徴を持つことがわかる。
FTQC実現への主戦場:光損失対策と「ABCI-Q」によるリアルタイムデコード
100万物理量子ビットのロードマップにおいて、最も重大な技術的ボトルネックとして立ちはだかるのが「光損失(フォトン・ロス)」と「リアルタイム誤り訂正のデコーディング遅延」である。
1. 光損失という物理的宿命とGKP符号
光量子方式において、光子が導波路の結合部やスイッチ、光ファイバーを通過する際に一定確率で消失する「光損失」は、計算破壊に直結する最大のエラー要因である。どれほど高いスクイーズド光を生成できても、伝送路で光が減衰してしまっては量子もつれ状態が維持できない。
この課題を克服するための重要なアプローチが、ボソニック誤り訂正符号である「GKP(Gottesman-Kitaev-Preskill)符号」の実装である。GKP符号は、1つの光モードの連続量(連続的な電界振幅と位相)の中に格子状に離散的な量子情報を埋め込む技術である。この符号を用いることで、一定以下の光損失や位相揺らぎが発生しても、元の量子情報を正確に復元できる。OptQCとNTTの共同研究においても、2027年度までの設計完了目標の中に「GKP状態を安定して生成・維持する光学回路アーキテクチャの確立」が主要テーマとして組み込まれている。
2. ABCI-Qとの密結合が解くデコード問題
量子誤り訂正とは?基本概念から最新のハードウェア動向・2030年への戦略を解説で述べている通り、誤り耐性型量子コンピュータ(FTQC)を稼働させるには、QPUから吐き出される膨大なエラーシンドローム(エラー位置の検知情報)をリアルタイムで解析し、演算中にフィードバック修正を加える「デコーダー」が必要となる。
光方式の駆動クロックは60GHzと極めて高速であるため、エラーシンドロームの生成スピードも超伝導や中性原子の比ではない。従来のCPUや通常のFPGAではデコード処理が追いつかず、計算が停止する「デコーダー・ボトルネック」が発生する。
この課題に対し、現実的な解を示すのが産総研(G-QuAT)での取り組みである。2026年7月21日、OptQCと産総研は国産初号機となる光量子コンピュータ実機「MoQuren(モクレン)」を導入し、産総研のAI量子ハイブリッドスパコン基盤である「ABCI-Q(システムO)」との接続を開始した。
NVIDIA GPU群を搭載したABCI-Qの超平行計算資源と「MoQuren」を光ネットワークで超低遅延結合することにより、ギガヘルツ級で吐き出されるエラーシンドロームをAIアルゴリズムを用いてミリ秒〜マイクロ秒以下で高速デコードする実証環境が整備された。この「光QPU×AIスパコン」の密結合アーキテクチャこそが、2030年の100万ビットFTQC実現に向けた必須の鍵となる。
2027年〜2030年のマイルストーン:開発・投資判断の主要指標
事業責任者や技術責任者が、今後の光量子コンピュータの実用化進展を見極め、自社の事業計画やIT投資に反映させる上でチェックすべき具体的な指標(KPI)を時系列で整理する。
1. 2027年度:波長多重(WDM)融合と誤り耐性アーキテクチャ設計完了
- チェック指標: 光導波路チップ上での波長多重(WDM)技術の統合成功、およびGKP符号対応のシステム設計図の完成。
- GO/NO-GO判定基準: 時間領域多重(TDM)に加えて波長多重(WDM)を組み合わせることで、同一導波路内の並列計算能力を数倍に引き上げられるかが証明されるか。100万量子ビットを単一ラック規模に収めるための論理設計が確立された段階で、アルゴリズム開発への本格投資を判断すべきである。
2. 2028年度:1万量子ビット級PoC(実機検証)の稼働
- チェック指標: 産総研G-QuAT等に設置される実機PoCにおける「連続動作時間」と「実効エラー率」。
- GO/NO-GO判定基準: 1万物理量子ビット規模のクラスタ状態を生成した状態で、光損失率が許容閾値(数%以下)に収まり、誤り訂正を適用した状態での論理量子ビット演算が実証されるか。創薬・材料計算の特定ドメインにおける古典スパコン超え(Quantum Supremacy)の予兆をこの時点で評価する。
3. 2030年度:100万量子ビット級FTQC商用機のリリース
- チェック指標: 誤り耐性を備えた商用光量子クラウドアシスト基盤の稼働。
- GO/NO-GO判定基準: 量子クラウドサービスとは?CTOが押さえるべき導入戦略と2030年シナリオに基づくインフラ移行の実践。FTQC上で1,000論理量子ビット以上が安定稼働し、分子構造解析や金融リスク最適化などの実課題において数万倍の高速化が達成されるか。
常温量子インフラがもたらす産業構造の変容と実装戦略
NTTとOptQCの資本業務提携は、量子コンピュータを「極低温の特殊なラボ環境」から「既存の光通信網と連携する汎用データセンター」へと解き放つ構造的転換点である。
IOWNのオールフォトニクス・ネットワーク(APN)と融合した光量子コンピュータは、将来的に量子インターネットとは?次世代通信の仕組みと2040年を見据えた覇権争いのノードとして直接組み込まれる潜在力を秘める。分散型量子コンピューティングの加速|Nu Quantum「QPI技術」が描く2年前倒しのロードマップと実用化への絶対条件で描かれたように、計算機同士を光接続する分散型量子計算基盤の構築において、光方式は最も高い親和性を示す。
技術責任者および事業責任者は、以下の2点を今すぐ実行に移すべきである。
-
光量子特有の連続量(CV)アルゴリズムの評価評価
従来の離散量(DV)ベースの量子ゲートモデルだけでなく、連続量(CV)モデルやGKP符号を前提としたアルゴリズムの調査に着手し、自社の計算課題(分子シミュレーション、流体解析、最適化問題)との適合度を早期に評価する。 -
ABCI-Q等を活用したハイブリッド基盤への早期アクセス
産総研で稼働を始めた「MoQuren」とABCI-Qの統合環境のように、量子ハードウェアと古典スパコンが密結合したプラットフォームでのPoC環境を確保し、2028年の1万ビット時代に向けた開発体制を確立する。
冷却コストの壁を破る常温光量子インフラの台頭は、2030年を待たずに産業界の計算力学を再定義することになる。
出典: PR TIMES
出典: NTT 公式ニュースリリース
出典: INTERNET Watch
出典: PC Watch
出典: 財経新聞