東京大学と科学技術振興機構(JST)は2026年10月15日、狙った物性を持つ無機材料を結晶構造と局所電子状態から同時に逆設計する拡散モデル「MatterGen-e⁻」を開発しました。学習データ全体のわずか0.5%しか存在しない極小領域において、目標物性を満たす新材料の生成成功率を従来の約0.9%から約3.5%へと引き上げています。
局所電子情報の同時生成による結晶逆設計の進展
従来の材料探索は、候補組成をしらみつぶしに計算・実験する手法が主流であり、探索空間の広大さが開発期間の長期化を招いていました。こうした課題に対し、目標とする物性値を指定してAIに結晶構造を直接出力させる「逆設計(インバースデザイン)」が注目されています。
米Microsoft Researchは2023年12月にプレプリントを公開し、2025年1月に学術誌『Nature』で拡散モデルに基づく結晶生成AI「MatterGen」を発表しました。MatterGenは安定かつ多様な構造を生成できる一方、特定の物性値を課すと熱力学的に不安定な構造や化学的に破綻した組成を出力しやすい弱点がありました。
東京大学大学院工学系研究科の奥田伊武来大学院生、高原泉大学院生、生産技術研究所の溝口照康教授らの研究グループは、破綻が生じる要因を「AIが学習する情報の制限」にあると特定しました。従来の生成モデルは原子種や格子定数といった幾何学的な「骨格」情報のみを扱っており、材料物性を直接左右する電子状態が欠落していたためです。
研究グループは、結晶構造と局所電子状態を同一のグラフニューラルネットワーク(GNN)上で同時に復元する「MatterGen-e⁻」を構築しました。本成果の論文は2026年10月15日付で英科学誌『npj Computational Materials』にオンライン掲載されています。
| 開発項目 | 従来のMatterGen | 東京大学「MatterGen-e⁻」 |
|---|---|---|
| 生成対象 | 格子定数、原子位置、原子種 | 結晶構造+局所電子情報(電荷・状態密度) |
| 厳格物性の成功率 | 約0.9% | 約3.5%(約4倍に向上) |
| 生成候補の新規性 | 約62.3% | 約80.8% |
| 電荷の生成精度 | 考慮なし(第一原理計算で後評価) | 平均絶対誤差0.054(電子数換算) |
本研究は、科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業 ACT-Xおよび次世代AI人材育成プログラム(BOOST)の支援を受けて実施されました。
参考記事: AI科学研究のボトルネックは検証プロセス|自律実験室の課題と実用化ロードマップ
物理整合性を担保する電子状態圧縮と拡散モデルの構造
MatterGen-e⁻が成功率を高められた要因は、ノイズ除去の各ステップにおいて幾何構造と電子状態の整合性を相互にフィードバックさせる点にあります。
ベイダー電荷と原子分解状態密度の二重モデリング
MatterGen-e⁻では、局所電子状態として性質の異なる2つの物理量を組み込んでいます。1つは、結晶内の電子を原子ごとの領域に分割して割り当てる「ベイダー電荷」です。ベイダー電荷は1原子あたり1つのスカラー量であり、局所的な酸化数やイオン結合性を軽量に表現します。
もう1つは、各原子の周囲で電子が存在し得るエネルギー分布を表す「原子分解電子状態密度(DOS: Density of States)」です。状態密度は512点の連続スペクトルデータであるため、そのままではモデルの学習負荷が過大になります。研究チームは自己符号化器(Autoencoder)を用いて512点のスペクトルを30次元の潜在変数へ圧縮し、GNNのノード特徴量へ統合しました。
学習にはMaterials Projectから構築された「MP-20データセット」のうち、電子密度と状態密度の双方が揃うデータが用いられました。拡散プロセスでは、ガウスノイズから結晶構造と圧縮された電子情報が同時に復元されます。骨格を組み立てる過程で電子の偏りが道しるべとして機能し、物理的に不合理な構造形成を排除します。
第一原理計算との誤差0.054を達成した対照実験の裏付け
研究グループは、バンドギャップ3eVかつ生成エネルギー-4eV/atomという極めて制約の厳しい条件下で各1,024個の構造を生成しました。生成された構造を第一原理計算(DFT)で構造緩和させた結果、目的物性の充足度、既知データベースに対する新規性、熱力学的安定性、電荷中性のすべてで従来モデルを上回りました。
性能向上が単なるパラメータ増加の副産物ではないことを証明するため、2系統の対照実験が実施されています。電子情報として意味を持たない乱数を与えた場合、および物理情報をノイズで破壊した条件下では、目的物性の達成率が従来モデルの0.9%以下に悪化しました。実測された物理情報が生成を誘導している事実が実証されています。
AIが出力したベイダー電荷と第一原理計算による真値を比較したところ、平均絶対誤差は電子0.054個分に収まりました。状態密度のスペクトル形状も良好に再現されています。元素ごとの検証では、d軌道バンドが安定している鉄やタングステンなどの遷移金属で高い再現精度を示しました。一方でsp混成軌道が結合環境に依存するホウ素や窒素などの軽元素では予測難度が高まる傾向が確認されています。
参考記事: 量子化学計算の実用化はいつ?デロイトが実証した計算コスト指数削減の仕組みと2028年ロードマップ
製造業・AI研究機関・蓄電分野への波及効果
電子状態を統合した生成モデルの登場は、材料設計の実務とAIアーキテクチャの方向性に具体的な変革をもたらします。
製造・素材メーカーにおけるスクリーニング工数の削減
化学メーカーや総合素材メーカーの研究現場では、生成モデルが出力した架空構造の多くが第一原理計算の緩和計算で崩壊し、計算リソースを浪費していました。MatterGen-e⁻のように電子情報があらかじめ付与されていれば、合成困難な構造を初期段階で除外できます。DFT計算に投入する前段階でのスクリーニング精度が向上し、合成実験候補の選定サイクルが短縮されます。
AI創薬・材料生成モデルにおける設計パラダイムの移行
フロンティアラボにおける材料生成モデルの開発は、学習データ規模やパラメータ数の拡張のみを追求する手法から転換期を迎えています。結晶の幾何情報だけをスケーリングしても、非線形な量子力学的相互作用を内包させるには限界がありました。物理量を潜在空間に明示的に埋め込むドメイン物理制約型モデルへの移行が加速します。
全固体電池・次世代パワー半導体材料の探索加速
全固体電池の固体電解質やワイドバンドギャップ半導体は、電子移動度やバンド構造の精密な制御が必須です。MatterGen-e⁻は「バンドギャップ3eV」といった精密な電子的要件を指定しながら熱力学的安定性を満たす候補を導出できるため、極端物性を求める機能性材料の探索効率を高めます。
参考記事: ハイエントロピー合金の基礎から実装まで|極限環境を支える新材料のポテンシャルと導入ステップ
材料開発AI実用化に向けた定量的判断基準
材料生成AIを自社の研究開発パイプラインへ本格適用する際、技術責任者は単なる生成速度ではなく、物理的収束性を測るKPIを設定する必要があります。
生成構造を第一原理計算コード(VASPやQuantum ESPRESSO等)に投入した際、初期構造からの原子変位が小さく、エネルギー緩和が短ステップで完了する「DFT緩和残存率」が最初の指標です。この比率が50%を下回る生成AIは、計算資源を浪費するリスクを抱えます。
次に確認すべきは「物性指定再現誤差」です。バンドギャップや生成エネルギーの事前指定値に対し、DFT緩和後の物性値との乖離が一定許容範囲(例: バンドギャップ誤差±0.2eV以内)に収まる確率を追跡します。MatterGen-e⁻が示した約3.5%という成功率は、母集団の0.5%しか存在しない極小領域での値です。指定条件の難度に応じた基準値の設定が求められます。
新材料逆設計モデルの導入に向けた3つのアクション
研究責任者および材料計算エンジニアが今後着手すべき具体的な手順は以下の通りです。
- 公開予定のMatterGen-e⁻実装コードとMP-20派生データセットの検証環境を整備する
社内クラスタ上に拡散モデルと第一原理計算ツールを連携させる推論・検証パイプラインを構築し、公開コードの動作確認を進めます。
- 自社保有の第一原理計算データベースから局所電子情報の抽出を開始する
過去に蓄積したDFT計算ログからベイダー電荷および局所状態密度を抽出し、追加ファインチューニングに使えるデータ基盤を整備します。
- 探索対象とする材料物性の成立条件を電子的制約条件として再定義する
伝導度や耐圧といった目標性能を、バンドギャップや特定軌道の電子密度など逆設計AIへ直接入力可能な物理パラメータへ落とし込みます。
出典: マイナビニュース
出典: 科学技術振興機構(JST)
