独インフィニオン・テクノロジーズ(Infineon Technologies)は2026年、ヒューマノイドロボット1台あたりの中央処理プロセッサを除く半導体獲得可能市場(SAM)が平均約500米ドルに達し、その40〜50%をモーター制御系が占めるとの試算を公表した。川崎重工業や安川電機など精密減速機や産業用アームで実績を持つ国内メーカーにとって、関節制御のモジュール化と耐量子暗号(PQC)の標準搭載は自社アーキテクチャの再設計を迫る指標となる。
ヒューマノイド向け半導体SAM500ドルの内訳と海外協業網
最新のヒューマノイドロボットは全身で最大70箇所のモーター制御系(関節部)を搭載する。インフィニオンの試算によると、ロボット1台における半導体部品表(BOM)のうち、中央GPUなどを除いた半導体SAMは約500米ドル規模に上る。そのうちの約半分(40〜50%)をアクチュエータや関節のモーター制御関連が占めている。
同社は2050年までにヒューマノイドが累計3億台、市場規模が1兆7000億米ドルに拡大すると予測する。この台数増を見据え、サプライチェーンの水平分業を加速させる枠組みが海外で整いつつある。
| 発表時期 | 協業・発表内容 | 主な目的・技術要素 |
|---|---|---|
| 2024年 | 米NISTによる耐量子暗号(PQC)標準化 | ML-KEM、ML-DSA規格の策定による暗号移行基準の確立 |
| 2026年6月3日 | NVIDIA「Jetson Thor」と「OPTIGA TPM」統合発表 | PQC対応ハードウェアルートオブトラストのロボット実装 |
| 2026年6月9日 | ベトナムVinRoboticsとのMOU締結 | ハノイにVRICCを設立しリファレンスデザインを共同開発 |
| 2026年6月9日〜11日 | PCIM Europe 2026での半導体展示 | 倉庫向け搬送機や関節アクチュエータ向けGaN素子の提示 |
2026年6月9日、インフィニオンはベトナムのコングロマリットであるヴィングループ(Vingroup)傘下のビンロボティクス(VinRobotics)と提携した。両社はハノイに共同コンピテンスセンター「VinRobotics-Infineon Competency Center(VRICC)」を開設した。
ここではリファレンスデザインの共有や実機テストを共同で進める体制が敷かれている。製造業が集積する東南アジアにおいて、機体の市場投入期間(Time-to-Market)を短縮させる狙いがある。ロボティクスの開発競争は、個別の機械設計から半導体ベンダーが提供する共通プラットフォームの活用へとシフトしている。
参考記事: 三菱自動車が人型ロボット量産へ、月産1000台目指し東大発新興とタッグ
70関節のGaN化とPQC暗号がもたらすハードウェア構造変化
ヒューマノイドの実用化において最大の障壁となっているのが、バッテリー駆動時間と動作の器用さ(Dexterity)の両立である。インフィニオンがシンガポールの研究施設で検証しているロボットは、上半身を人型にしつつも下肢には車輪を採用している。2脚歩行は多数の関節を同時に駆動させるため消費電力が跳ね上がり、稼働時間を著しく圧迫するためである。
この制約を打開する要素技術として、従来のシリコン(Si)から窒素化ガリウム(GaN)パワー半導体への置き換えが進む。GaNは高いスイッチング周波数と低損失特性を持ち、インバータモジュールの小型化と発熱低減を可能にする。
小型アクチュエータ内に高効率なGaNパワー回路を直接組み込むことで、全身に最大70箇所存在する関節の配線重量を削り、駆動効率を高める設計が成立する。同様のアーキテクチャ転換は、積載量の拡大と飛行時間の延長が求められる産業用ドローンやAGV(無人搬送車)の現場でも検討が始まっている。
動作習熟のプロセスにおいても劇的な変化が生じている。実機ロボットを用いて把持動作を100万回学習させる場合、長大な時間と機体の機械的損耗が避けられない。インフィニオンはデジタルツイン技術を活用し、仮想環境上で100万回の試行錯誤を約2日間に圧縮して完了させる手法を提示している。物理空間での反復作業を仮想空間の計算処理へ肩代わりさせるアプローチが開発期間を縮める。
機体がネットワークに常時接続され物理空間で動作する以上、セキュリティ設計も前提条件となる。インフィニオンはNVIDIAの自律マシン向けプロセッサ「Jetson Thor」に対し、耐量子計算機暗号(PQC)対応のセキュリティチップ「OPTIGA TPM SLB 9672」を統合した。
EUサイバーレジリエンス法(EU Cyber Resilience Act)や産業規格IEC 62443が求めるセキュリティ水準を見据え、ハードウェアを基点とする信頼性の検証(Root of Trust)を実装している。AI基盤モデルの改ざん防止や機体のファームウェア更新をPQC技術で暗号保護することにより、将来的な量子コンピュータによる暗号解読リスクに対処する。
| 比較項目 | 従来型アーキテクチャ(Si主導) | 次世代標準アーキテクチャ(GaN+PQC) |
|---|---|---|
| パワー変換効率 | スイッチング損失により発熱が大きく大型ヒートシンク必須 | 高周波動作で低損失。アクチュエータへのインバータ一体化が可能 |
| 関節制御の配置 | 制御基板とモーターが分離し複雑な機内配線が必要 | 分散配置された小型GaNモジュールが局所でモーターを精密駆動 |
| 動作学習手法 | 実機による数万〜数十万回の物理テスト(数カ月単位) | デジタルツイン上で100万回の動作を約2日間で完了 |
| セキュリティ基準 | 従来のRSA/ECC暗号ベースのTPM。遠隔書き換えリスク残存 | PQC(耐量子暗号)対応TPMによるモデル保護と完全性検証 |
参考記事: NVIDIA works with global robotics leaders to make physica…
モジュール共通化が進むサプライチェーンと国内製造業への影響
海外メガテックや大手半導体企業が推し進める「AIプロセッサ+GaNパワー制御+PQC基盤」のリファレンス設計化は、日本のロボット産業が持つ構造的強みに直接的な影響を与える。
これまで国内の産業用ロボットメーカーは、サーボモーター、精密減速機、特殊アクチュエータのすり合わせ設計によって高い競争力を維持してきた。機械工学的な独自機構を組み上げることが差別化の核となっていた。
しかし、インフィニオンが1台あたり約500ドルのSAMを提示し、半導体とドライバ回路のターンキーソリューション(完成品モジュール)を低価格で流通させれば、ロボットの躯体設計におけるハードウェアの参入障壁は下がる。
東南アジアや中国の新興メーカーが標準化されたパワー半導体モジュールを購入し、迅速にヒューマノイドを組み立てる水平分業モデルが成立するためである。機械加工や組み立ての精度のみに依存したビジネスモデルは、早期市場投入(Time-to-Market)を武器とするグローバル勢に対して価格競争へ巻き込まれかねない。
国内の部品・制御機器メーカーが対抗する上では、自社のアクチュエータやモーター製品に次世代半導体をいち早く最適化させることが求められる。
独自のアナログ制御ノウハウをGaNの超高速スイッチング特性に適合させ、ドライバーICやセンサーを含めた高密度モジュールとしてパッケージ提供できる体制を整える必要がある。単体コンポーネントの納入にとどまらず、上位のAIプラットフォーム(Jetson Thor等)と即座に通信できるインターフェースの規格化を進めることが不可欠となる。
さらに、EUサイバーレジリエンス法など海外市場へ機体を輸出する際に課される法規制への適合も見落とせない。
日本国内の産業機械開発では機械安全(ISO 13849等)への適合が優先される傾向が強いが、今後は通信プロトコルや更新プログラムのハードウェア暗号化(PQC)が輸出の必須要件となる。ハードウェアセキュリティチップを制御基板の初期設計段階から組み込むプロセスの確立が、サプライチェーンから脱落しないための前提条件となる。
参考記事: OpenAIが人型ロボ自社開発へ|BOMコスト3倍の壁と日本の勝機
次世代ロボット開発に向けた実務チェックリスト
海外半導体ベンダー主導のモジュール化が進む中、国内の開発責任者および事業責任者が自社のポジショニングを見直すための具体的なアクションを整理する。
- アクチュエータ回路におけるGaNパワー素子の検証
既存のSiベースのインバータ回路をGaNパワー半導体へ移行した場合の電力効率、発熱量、容積削減効果を試作基板で実測比較する。関節内部へのドライバ一体化が可能かを機械設計側と擦り合わせ、配線削減による軽量化マージンを定量評価する。
- PQC対応TPMモジュールの基板レイアウト事前検討
自律ロボットの制御マイコンやエッジAIプロセッサの周辺回路に、NIST標準化規格(ML-KEM等)に準拠したTPM(OPTIGA TPM等)を配置可能な設計余地を確保する。IEC 62443やEUサイバーレジリエンス法に準拠したセキュアブート環境の立ち上げ要件を仕様書へ反映させる。
- デジタルツインを用いた学習パイプラインへの開発投資
実機による動作ティーチング依存を脱却し、シミュレーション環境での強化学習および挙動検証フレームワークを導入する。把持動作や協調動作の反復学習期間を実機の数カ月から仮想空間上の数日へ短縮できるインフラ環境を構築する。
出典: EE Times Japan
出典: Infineon Technologies
出典: All-About-Industries
出典: Media OutReach
